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東京地方裁判所 昭和57年(ワ)7425号 判決 1985年1月28日

原告

本間誠子

被告

株式会社スズケン

ほか一名

主文

一  被告らは連帯して、原告に対し、金七〇六万一九二四円及びこれに対する、被告株式会社スズケンは昭和五七年六月二六日から、被告粕谷弘は同年同月二七日から、各支払済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用は、これを二分し、その一を被告らの、その余を原告の各負担とする。

四  この判決は、主文第一項に限り仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告らは連帯して、原告に対し、金二〇九三万三三六〇円及びこれに対する、被告株式会社スズケンは昭和五七年六月二六日から、被告粕谷弘は同年同月二七日から、各支払済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告らの負担とする。

3  第一項につき仮執行宣言。

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  事故の発生

(一) 日時 昭和五四年一一月一六日 午前一〇時ころ

(二) 場所 東京都中野区白鷺三丁目一番地先路上

(三) 加害車両 普通貨物自動車(品川四五せ五九四号)

右運転者 被告粕谷弘(以下「被告粕谷」という。)

(四) 被害車両 足踏み自転車

右運転者 原告

(五) 事故態様 被告粕谷が加害車両を運転して事故現場道路左側に停車後、下車するため運転席側ドアを開いたところ、後方から進行してきた被害車両と衝突した(以下右事故を「本件事故」という。)。

2  責任原因

(一) 本件事故は被告粕谷が後方の安全確認を怠つて加害車両のドアを開いた過失により発生したものであるから、同被告は民法七〇九条の規定に基づき原告に生じた損害を賠償すべき責任を負う。

(二) 被告株式会社スズケン(以下「被告会社」という。)は加害車両を自己のため運行の用に供していたものであるから、自動車損害賠償保障法(以下「自賠法」という。)三条の規定に基づき原告に生じた損害を賠償すべき責任を負う。

3  原告の受傷及び治療経過

原告は本件事故により頭頸部外傷の傷害を受け、頭痛、両上肢のしびれ感のほか、眼、歯、内臓等に広い症状を呈するに至り、昭和五四年一一月一六日熊谷医院で、昭和五四年一一月一九日から昭和五五年二月七日まで酒井医院で、昭和五四年一二月一七日から昭和五五年二月一三日まで昌光堂眼科医院で、昭和五五年五月一二日から現在に至るまで都立墨東病院で、昭和五四年一二月一八日から現在まで塩川治療室で、昭和五五年一二月一日から現在まで日本橋接骨院で、それぞれ通院のうえ治療を受け、またその間右の他、磯野外科病院、慶応義塾大学病院、都立大久保病院、荻窪胃腸クリニツク、森山歯科医院、富士見台デンタルクリニツク(歯科)でも治療を受けたが、治癒せず、頸椎椎間孔狭窄による循環障害後遺症として現在においても二〇日ないし三〇日の周期で激しい頭痛発作におそわれ、貧血、鼻炎、口内炎、子宮筋腫、胃かいよう(原告には胃弱の傾向があつたが本件事故後胃潰瘍に悪化したもの。)、咀しやく言語機能障害、視力の低下(本件事故以前は左右両眼とも視力一・五であつたが事故後右一・〇、左〇・八に低下した。)、眼球調節機能の著しい低下(調節力はほとんど〇に近く、視野狭窄がある。)が残存し、また二〇歯以上に歯科補填を加え三歯を抜歯するに至つたものである。原告の右頭痛発作は自賠法施行令二条別表後遺障害別等級表第九級一〇号に、眼球調節機能の低下は同第一一級一号に、歯科補填等は同一〇級三号にそれぞれ該当し、以上は併合して同第八級に該当するものである。

4  損害

(一) 治療費 金三四六万三一三〇円

原告は前記通院治療費として次の金額を要した。

(1) 熊谷医院 金二万六七〇〇円

(2) 酒井医院 金四四万八一七五円

(3) 昌光堂眼科医院 金五万六四七〇円

(4) 東京都立墨東病院 金三〇万円

(5) 塩川治療室及び日本橋接骨院 金三五万円

(6) 磯野外科病院 金二万四六〇〇円

(7) 慶応義塾大学病院 金四〇三〇円

(8) 都立大久保病院 金一万七五五五円

(9) 荻窪胃腸クリニツク 金二万五六〇〇円

(10) 森山歯科医院 金二〇二万円

(11) 富士見台デンタルクリニツク 金一九万円

(二) 通院雑費 金一五万七九八〇円

原告は、前記通院治療期間中雑費として合計金一五万七九八〇円を要した。

(三) 家政婦費用 金一一万七六〇〇円

原告は前記酒井病院に通院していたうち昭和五四年一一月一九日から同年一二月二四日までの三六日間、その症状が増悪し家事労働に従事することができなかつたため家政婦を依頼し、その費用として金一一万七六〇〇円を要した。

(四) 休業損害及び後遺症による逸失利益 金一二三九万二四一六円

原告は昭和九年五月一七日生れ(事故当時四五歳)の女子で前夫友森眞二との間に一男四女をもうけたが、その後離婚して子供達を養育してきたもので、家事労働に従事するかたわら事故当時株式会社ダスキンに勤務しており、また看護婦の資格経験を有し近い将来は看護婦として稼働する予定でもあつた。したがつて原告は六七歳までの二二年間稼働可能でその間少なくとも四五歳女子の平均賃金である年額金一八八万八八〇〇円を下らない所得を得られた筈であるところ、本件事故による前記傷害及び後遺障害によつて事故時からその労働能力の四五パーセントを喪失したものというべきであるから、新ホフマン式計算法により年五分の割合の中間利息を控除して、原告の逸失利益(休業損害及び後遺症による逸失利益)現価を算出すると、次の計算式のとおり、金一二三九万二四一六円(一円未満切り捨て)となる。

計算式 1,888,800×0.45×14.58=12,392,416

(五) 慰藉料 金八一四万円

原告の前記受傷の部位・程度、通院治療期間、後遺障害の内容程度等の諸事情に鑑み、原告の精神的苦痛を慰藉するための慰藉料としては、傷害分として金一四二万円、後遺障害分として金六七二万円が相当である。

(六) 以上の(一)ないし(五)の損害額を合計すると金二四二七万一一二六円とする。

(七) 損害のてん補

原告は、被告会社から、前記(一)の(1)ないし(3)の治療費合計五三万一三四五円の支払を受けた。

(八) 右(六)の金額から(七)のてん補額を控除すると残額は金二三七三万九七八一円となる。

5  そこで原告は被告らに対し、右の内金二〇九三万三三六〇円及びこれに対する本訴状送達の日の翌日である被告会社は昭和五七年六月二六日から、被告粕谷は同年同月二七日から、各支払済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1及び2の各事実は認める。

2  同3の事実中、原告が本件事故により頭頸部挫傷の傷害を受けたこと、通院治療経過中、熊谷医院、酒井医院、昌光堂眼科医院での通院治療、都立墨東病院で昭和五五年五月一二日から昭和五七年六月二六日まで通院し、昭和五四年一二月一八日から昭和五五年一一月三〇日まで塩川治療室で、同年一二月一日から昭和五六年五月三一日まで日本橋接骨院で通院治療を受けたことは認め、その余は不知。なお、仮に右以外に通院治療を受けていたとしても、本件事故との因果関係はこれを否認する。

原告主張の症状は不知、仮にあるとしても本件事故によるものでなく、老年性あるいは更年期障害に起因するものである。なお自賠責保険(自動車保険料率算定会新宿調査事務所)は原告の後遺障害を自賠責保険の等級表第一二級一二号に該当するとの認定をしている。

3  同4の(一)の(1)ないし(3)は認め、(一)の(4)のうち昭和五七年六月二六日までの治療費金一六万四二二〇円は認め、(一)の(5)のうち塩川治療室の金二三万七〇〇〇円、日本橋接骨院の金七万円は認め、その余は不知。(二)は不知、(三)は認める。

4  同4の(四)は不知。原告の休業損害については、昭和五四年賃金センサス第一巻第一表産業計・企業規模計・学歴計の年齢別(四五歳)女子平均給与額を基礎に三ケ月間の限度で認めるべきで、次の計算式(1)のとおり、金四四万二八二五円が相当である。また原告の後遺障害による逸失利益については、右年収を基礎に、労働能力喪失割合を一四パーセントとし四年間を認めるべきで、次の計算式(2)のとおり、金八八万三八〇八円が相当である。

計算式(1) (119,500×3)+(337,300÷12×3)=442,825

計算式(2) (119,500×12+337,300)×0.14×3.564=883,808

5  同4の(五)は争う。慰藉料額としては、傷害分金三〇万円、後遺障害分金一五〇万円の合計一八〇万円が相当である。

6  同4の(七)は認める。

三  抗弁

1  過失相殺

本件事故の発生については、原告にも前方に停車中の加害車両の動静を注視せず漫然と走行した不注意があるから、原告の損害額から相当の過失相殺減額がされるべきである。

2  弁済

被告らは、請求原因4の(七)のてん補額のほか、国立病院医療センター(昭和五四年一二月一〇日通院)の治療費として金四〇〇〇円、池袋レントゲン診療所(同年一二月一九日及び昭和五五年一〇月一八日通院)の治療費として金四万一八一〇円、都立墨東病院の治療費として金七万七六七〇円、塩川治療室の治療費として金二三万七〇〇〇円、日本橋接骨院の治療費として金七万円、原告の付添看護費(昭和五四年一一月一九日から同年一二月二四日までの分)として金九万八〇〇〇円、眼鏡代金九万八四〇〇円、交通費金一〇万二三二〇円の合計金六三万九二〇〇円を支払つた。また自賠責保険から後遺障害分として金二〇九万円が原告に支払われている。

四  抗弁に対する認否

1  過失相殺の抗弁事実は否認する。

2  弁済の抗弁事実は認める。ただし、都立墨東病院、塩川治療室、日本橋接骨院の各治療費、付添看護費及び自賠責保険からの支払額以外の損害は本訴において請求外である。

第三証拠

証拠関係は、本件記録中の書証目録及び証人等目録各記載のとおりであるから、これをここに引用する。

理由

一  請求原因1(事故の発生)及び2(責任原因)の事実は当事者間に争いがない。

二  同3(原告の受傷及び治療経過)の事実中、原告が本件事故により頭頸部挫傷の傷害を受けたこと、通院治療経過中、熊谷医院、酒井医院、昌光堂眼科医院での通院治療、昭和五五年五月一二日から昭和五七年六月二六日まで都立墨東病院に通院し、昭和五四年一二月六日から昭和五五年一一月三〇日まで塩川治療室に、同年一二月一日から昭和五六年五月三一日まで日本橋接骨院に通院して治療を受けたことは当事者間に争いがない。

成立に争いがない甲第七号証ないし一〇号証、第一一号証の一ないし一七、第一二号証及び第一三号証の各一、二、第一五号証、第二〇号証、第二二号証ないし第二九号証、第三二号証、原告本人尋問の結果により真正に成立したと認められる甲第一八号証の一ないし五、弁論の全趣旨により真正に成立したと認められる甲第三七号証、第三八号証、第三九号証の一ないし五、第四〇号証、乙第五、第六、第一五ないし第一九号証の各一及び二、原告本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によれば、

1  原告は、事故当日(昭和五四年一一月一六日)熊谷医院で頸部痛を訴えて治療(投薬)を受けたがエツクス線撮影検査の結果では異常所見はないと診断された。その後頭痛及び右手のしびれ感等が強くなつたため原告は前記酒井病院に通院(昭和五四年一一月一九日から昭和五五年二月七日まで、実日数四九日)したが、同病院では原告に特段の他覚所見が検出されなかつたものの不定愁訴が非常に多かつたため精神安定剤、自律神経安定剤、血栓溶解剤、抗炎症剤等の投薬を施すと共に変形機械矯正術等を行つた結果症状は次第に快方に向かい昭和五五年二月一三日治癒したものと診断された。

2  その後原告は症状が思わしくなかつたことから更に都立墨東病院に通院(昭和五五年五月一二日から現在に至るまで、なお昭和五八年三月一四日までの実日数は三七日)し、外傷後健忘があつて事故後一五分後に頸部肩部痛や両上肢(特に左)しびれ感が出て、以後間歇的に頭痛発作が起こる等を訴えた。同病院では頭頸部外傷(及び胃潰瘍)と診断し諸検査を行つた結果、CTスキヤナー上は異常はなく、また眼底も正常で、ただエツクス線撮影により頸椎第四及び第五間の椎間孔がやや狭小化していることが認められ、また脳波検査上も当初徐波成分の増加が認められたがこれも昭和五七年四月下旬には改善されており、治療として、精神安定剤、昇圧剤、筋弛緩剤等の投薬を施したけれども原告の胃の状態が悪く原告において積極的に服薬することをしなかつた。なお、原告は昭和五七年一月二二日貧血を起している。原告の頭痛等の症状は昭和五六年四月ころから一時軽快したが、治癒せず、同年六月下旬ころからは目まいを伴うようにもなつた。結局同病院では昭和五七年七月五日に原告の症状は頭痛発作、両上肢(特に左)にしびれ感等を残して固定した旨の診断を一旦したが、その後、更に昭和五八年三月一四日後遺障害として右症状のうち頭痛発作時に左側視野に閃光発作を伴うものとして固定した旨の診断書も作成している。

3  原告はまた塩川治療室ないし日本橋接骨院に通院(経営者は同一である。昭和五四年一二月一八日から昭和五七年ころまで)しカイロプラクテイツク療法を受けてきたが、昭和五六年六月四日の診断では、「原告は記憶力減退、情緒不安定、頸部から背部にかけての疼痛等を訴えていたが、治療の結果徐々に症状も軽減している。ただし完治には至らず悪天候下では症状を誘因することがある。」ということであつた。その他、原告は、昭和五七年四月二七日ころ磯野外科病院で診察を受け、昭和五七年四月二六日には慶応義塾大学病院で諸検査を受け、昭和五五年一〇月二二日から昭和五七年六月五日まで荻窪胃腸クリニツクに通院(実日数三二日)してバリ治療を受けている。

4  原告は右治療と併行して、眼の治療として昌光堂眼科医院に通院(昭和五四年一二月一七日から昭和五五年二月一三日まで、実日数三三日)し霧視及び眼球の痛み(両眼)を訴えたため、同病院で諸検査を行つたところ、輻湊、瞳孔の近見反応等に異常を認めず、結膜、角膜、眼底等に異常な他覚所見はなく、視力検査の結果では当初は右一・二、左〇・七(裸眼)で、昭和五四年一二月二六日には右一・二、左一・〇(裸眼)、昭和五五年一月七日には右一・五、左一・二、同年同月一六日には右一・五、左一・五(裸眼)、同年二月一日には右一・二、左一・二(裸眼)、また同年同月一三日には右一・五、左一・五と視力が回復しており、昭和五四年一二月二六日の検査によると原告の角膜に混濁(角膜炎)が見られたが昭和五五年一月一四日には消失し、また同年一月二六日には霧視の訴えもなくなつた。また眼球の調節機能障害(老視)についても同病院では諸検査を施行したが、これが外傷によるものであることは臨床的に否定され加齢的変化によるものであるとの診断をしている。また原告は昭和五七年五月一三日、同年六月三日及び昭和五八年四月四日の三回にわたり都立大久保病院眼科で薬治と諸検査を受け眼球調節力衰弱との診断を受けている。なお、前記甲第二〇号証(都立墨東病院の後遺障害診断書)には視力が右一・〇(矯正一・二)、左〇・八(矯正一・二)、眼球調節機能〇、視野狭窄あり、複視はない旨の記載がある。

5  原告は歯の治療として、歯痛を訴えて、昭和五七年二月一八日富士見台デンタルクリニツクで歯科治療を受け、また昭和五七年一〇月から昭和五八年五月までの間森山歯科病院に通院し、左側上下顎小臼歯部の破折による抜去と有床義歯補綴をするも疼痛のため咀しやくに支障があることを訴え、同病院では歯ぎしり症による下顎局部義歯破折並びに咬合平衡の喪失と診断し上下顎欠損部を含むフルブリツヂ形式の補綴を施行した。

以上の事実が認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

三  次に原告の右症状と本件事故との因果関係について判断する。

成立に争いがない甲第三一号証の二及び三によれば、前記都立墨東病院脳神経外科医師早川勲は、右症状のうち本件事故と因果関係のあるものは頭痛発作、項頸部痛、両上肢のしびれ感で、頸部損傷による循環障害がその原因と考えられること、眼球調節機能障害については、頸部第四、第五椎間孔狭小化のみでこれが発症するものでなく、内眼筋と水晶体の性状が関係するもので、水晶体は加齢によりその性状に変化を生じ、内眼筋は交感神経及び副交感神経の自律神経の支配を受けているもので、頸部障害で頸部の交感神経に異常を生じた場合には内眼筋の機能に異常をみることもあること、歯疾患については頸椎の病変に因るものとは医学的に考えられないこと、その他頸部第四、第五椎間孔狭小化による循環障害が原因となつて視力低下、咀しやく言語機能障害、貧血、鼻炎、口内炎、子宮筋腫の悪化、胃病の悪化等の症状が発症するものとは考えられないこと等を内容とする意見書を作成提出していることが認められる(右認定を左右するに足りる証拠はない)。

1  右事実に前記治療経過、当裁判所に顕著なむちうち症の病態に照らすと、原告の頭痛発作及び両上肢しびれ感は本件事故による外傷に起因するものと認められる(ただし、症状固定の時期については後に判断する。)。

2  眼球調節機能障害(及び視野狭窄)及び視力低下については、前記甲第二〇号証(都立墨東病院医師早川勲の作成名義であるが、原告本人尋問によれば都立大久保病院医師石田常康の検査結果を記載したもの)には右障害の記載があり(ただし甲第二八号証((第二回目の診断書))には記載がない。)、また原告本人尋問の結果中には右各障害が本件事故によるものである旨の供述があるが、右甲第二〇号証には、これが事故に起因するものであることの医学的知見は明らかにされておらず、眼球調節機能障害等は加齢その他の原因でも発現を見るものであるところ、前記昌光堂医院における検査によるも三叉神経症候群を疑うに足りる異常な他覚所見は検出されていないことに照らすと、前記記載及び原告本人の供述の存在することのみをもつて右障害が本件事故による外傷に起因するものであることを認めるに足りず、他にこれを認めるに足りる証拠はない。また視力低下についても、視力検査は本人の申告のみに基づくものであるところ、前記昌光堂医院における検査によれば、一時視力の低下を示したことはあつたものの昭和五五年二月中旬(同医院における最終的検査)には左右とも一・五(裸眼)に回復しており、また右同様他覚所見も検出されていないことに照らすと、いまだ原告の主張する視力低下なるものが本件事故に起因するものであると認めることはできない。

3  歯疾患について、原告本人尋問の結果中には、本件事故により頬部から顎にかけて打撲傷を負い、以後歯痛が持続増悪していた旨の供述部分があるが、右の点を裏付けるに足りる医学的資料は存在せず(なお、頸椎第四、第五椎間孔狭小化が歯疾患の原因とならないことは前記医師早川勲の意見書からも肯認できる。)、また前記の歯科治療が事故後二年余を経た時から行われていることに照らしても、右供述部分の存在することのみをもつて歯疾患が本件事故によるものと認めることはできず、他に右事実を認めるに足りる証拠はない。なお原告本人尋問結果中には咀しやく言語機能障害があつた(昭和五八年秋ころには改善した。)旨の供述部分があるが、右同様、本件事故によるものと認めることはできない。

4  胃病の悪化(胃潰瘍)については、前記医師早川勲の意見書に照らしこれが頸椎間孔狭小化に起因するものであると認めることはできないが、なお、原告本人尋問の結果及び前記治療経過に鑑みて、本件事故による傷害に対する治療課程(特に投薬等の影響)で発現したものと推認できる(右推認を左右するに足りる証拠はない。)から、本件事故との間に因果関係があるものと認めるのが相当である。

5  前記のとおり原告が昭和五七年一月二二日貧血を起したことは認められるが、これが本件事故による受傷ないしその治療に起因するものであることを認めるに足りる証拠はない。鼻炎、口内炎については、原告本人尋問の結果中には、酒井医院に通院中これが発現した旨の供述があるが、前記甲第二五号証(酒井医院の診療録)にはその記載がなく、右供述のみによつてはいまだ右事実を認めることはできず、他にこれを認めるに足りる証拠はない。原告の子宮筋腫の悪化についてはこれを認めるに足りる証拠はない。

以上によれば、本件事故と相当因果関係に立つ原告の症状は頭痛発作、項頸部痛、両上肢のしびれ感及び胃病の悪化に限られることとなる(もつとも昌光堂眼科医院での検査を主とする通院治療自体は、当時の原告の症状に照らし一応事故による影響を疑つて行われたもので必要かつ相当なものと認められる。)。

四  原告の後遺障害の程度及び症状固定の時期について判断する。

前記のとおり原告の本件事故による傷害の主症状は激しい頭痛発作と両上肢のしびれ感であり、他覚所見としては頸椎椎間孔の狭小化に限られること、その他前記認定の通院実日数、治療内容等の治療経過に鑑みれば、原告の右症状は昭和五七年七月五日に局部に頑固な神経症状(自賠責等級表第一二級相当)を残して固定したものと認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。なお、胃病の悪化が後遺障害として残存したことを認めるに足りる証拠はない。

五  損害

1  治療費 金一〇五万六七九五円

(一)  請求原因4の(一)の(1)ないし(3)の事実は当事者間に争いがない。

(二)  前記甲第一一号証の一ないし一七、第一九号証の二及び弁論の全趣旨によれば、原告は前記都立墨東病院における治療費(ただし症状固定日である昭和五七年七月五日まで)として金一六万四二二〇円を要したことが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。なお、症状固定日以後の治療費は本件事故との間に相当因果関係がないものである。

(三)  前記乙第五号証の二、第六号証の二及び弁論の全趣旨によれば、原告は塩川治療室及び日本橋接骨院における治療費として合計三〇万七〇〇〇円を要したことが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

(四)  前記甲第一二号証によれば、原告は昭和五七年四月二七日の磯野外科病院における治療費として金二万四六〇〇円を要したことが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

(五)  前記甲第一三号証の一、二及び原告本人尋問の結果によれば、原告は昭和五七年四月二六日慶応義塾大学病院における検査治療費用として金四〇三〇円を要したことが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

(六)  前記甲第一五号証によれば、原告は荻窪胃腸クリニツクにおけるハリ治療費(昭和五五年一〇月二二日から昭和五七年六月五日までの分)として金二万五六〇〇円を要したことが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

(七)  原告の主張するその余の都立大久保病院(眼科)、森山歯科医院、富士見台デンタルクリニツク(歯科)における各治療費は、前記のとおり本件事故との間に因果関係があると認めることはできない。

(八)  以上の(一)ないし(六)の金額を合計すると金一〇五万六七九五円となる。

2  通院雑費

原告が、前記本件事故と相当因果関係のある通院治療に際して通院雑費を要したことを認めるに足りる証拠はない。

3  家政婦費用 金一一万七六〇〇円

原告がその主張する期間症状が増悪したため家政婦を依頼し、その費用として金一一万七六〇〇円を要したことは当事者間に争いがない。

4  休業損害及び後遺障害による逸失利益 金五五九万一五四四円

成立に争いのない甲第一号証、第二号証、原告本人尋問の結果により真正に成立したと認められる甲第五号証、原告本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によれば、原告は、昭和九年五月一九日生まれ(事故当時四五歳)の女子で前夫友森眞二との間に長女(昭和三五年三月一二日生)、長男(昭和三八年一〇月一七日生)、二女(昭和四一年九月六日生)、三女(昭和四五年四月三日生)及び四女(昭和四六年五月二九日生)をもうけたが、昭和五二年一〇月離婚し、以後女手一つで子供達を養育し、しばらくは生活保護を受けていたが、家事労働に従事するかたわら昭和五四年一〇月ころからは株式会社ダスキンにパートタイマーとして勤務しており、また看護婦の資格経験も有していたため看護婦として稼働する希望も有していたことが認められ(右認定を左右するに足りる証拠はない。)、右の原告の生活及び稼働状況に鑑みると、原告の所得としては主婦に準じて後記のとおり各年度における賃金センサス第一巻第一表産業計・企業規模計・学歴計の全年齢女子平均賃金(年額で、昭和五四年度は金一七一万二三〇〇円、昭和五五年度は金一八三万四八〇〇円、昭和五六年度は金一九五万五六〇〇円、昭和五七年度は金二〇三万九七〇〇円)を下まわるものではないと認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

(一)  休業損害

原告本人尋問の結果によれば、原告は事故後生活保護法による法的扶助を支えに生計を維持していることがみとめられるが、原告の前記受傷の部位・程度、通院治療経過等の事情に鑑みると、原告は、事故後症状が固定した昭和五七年七月五日までの間、昭和五四年一一月一六日から昭和五五年一二月三一日までの間は一〇〇パーセント、昭和五六年一月一日から同年一二月末までは七〇パーセント、昭和五七年一月一日から同年七月五日までは五〇パーセントの割合で休業を余儀なくされたものと認めるのが相当であり、前記賃金センサスを基礎に原告の休業損害を算定すると、別紙計算式のとおり、金三九三万九二二〇円(一円未満切り捨て)となる(なお、原告は中間利息を控除して主張しているが、休業損害について中間利息を控除するのは相当でない。)。

(二)  後遺症による逸失利益

前記の原告の後遺障害の内容・程度、原告本人尋問の結果により認められる症状固定後の状態に鑑みると、原告は症状固定日の翌日から七年間その労働能力を一四パーセント喪失したものと認めるのが相当であり、その間少なくとも昭和五七年賃金センサス第一巻第一表産業計・企業規模計・学歴計の全年齢女子平均賃金である年額金二〇三万九七〇〇円を下らない所得を得られた筈であるから、これを基礎に、ライプニツツ式計算法により年五分の割合の中間利息を控除して原告の後遺症による逸失利益の現価を算定すると、次の計算式のとおり、金一六五万二三二四円(一円未満切り捨て)となる。

計算式 2,039,700×0.14×5.7863=1,652,324

(三)  以上の(一)及び(二)の金額を合計して原告の逸失利益額を求めると、金五五九万一五四四円となる。

5  慰藉料 金三四〇万円

原告の前記受傷の部位・程度、通院治療期間、後遺障害の内容・程度その他諸般の事情に鑑みると、原告の精神的苦痛を慰藉するための慰藉料としては、傷害分として金一四〇万円、後遺障害分として金二〇〇万円が相当である。

6  前記1ないし5の金額を合計すると、原告の損害額は金一〇一六万五九三九円となる。

7  過失相殺の主張に対する判断

被告は本件事故発生について、原告にも加害車両の動静不注視があるから、相当の過失相殺をすべきであると主張するので判断する。

原告本人尋問の結果によれば、本件事故現場道路は、幅員約三メートルの狭い未舗装の直線道路で、原告は被害車両に乗つて右道路を進行中、約八〇ないし一〇〇メートル前方道路左側に加害車両が原告に後部を向けて停車中であるのを認めたが、同車が動き出す気配も窺えなかつたため、そのまま同車の右側を通過しようとしたところ、被告粕谷が突然運転席側のドアーを開き、避ける間もなく、これと衝突したことが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。右事実によれば、本件事故は被告粕谷の基本的かつ重大な過失に起因するものと認められるのであつて、原告にも加害車両の動静注視につき若干の落度が認められる余地があつたとしても、これを理由にその損害額から過失相殺減額をするのは相当ではない。

8  損害のてん補(弁済)

(一)  原告が、被告会社から請求原因4(一)の(1)ないし(3)の治療費分合計金五三万一三四五円の支払を受けたことは原告の自認するところである。

(二)  被告会社が、都立墨東病院の治療費金七万七六七〇円、塩川治療室の治療費金二三万七〇〇〇円、日本橋接骨院の治療費金七万円及び家政婦費用金九万八〇〇〇円を負担のうえ支出したこと、原告が加害車両の加入する自賠責保険から後遺障害分として金二〇九万円の支払を受けたことは当事者間に争いがない。

9  前記6の金額から8のてん補額を控除すると残額は金七〇六万一九二四円となる。

六  以上の次第であるから、原告の被告らに対する本訴請求は、連帯して金七〇六万一九二四円、及びこれに対する本訴状送達の日の翌日である被告会社は昭和五七年六月二六日から、被告粕谷は同年同月二七日から、各支払済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し、その余は理由なしとして棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条、九三条を、仮執行の宣言につき同法一九六条を各適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 松本久)

計算式 (1) 昭和54年11月16日から同年12月31日まで

1,712,300÷365×46=215,796

(2) 昭和55年1月1日から同年12月31日まで

1,834,800

(3) 昭和56年1月1日から同年12月31日まで

1,955,600×0.7=1,368,920

(4) 昭和57年1月1日から同年7月5日まで

2,039,700÷365×186×0.5=519,704

(以上合計 3,939,220)

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